にほんご

ちょっと思い出したことがあったので書いておくことにする。
今は諸事情により放置状態にあるが、サイトを弄りたおしていた時期があり、とにかく可読性をあげることにこだわっていたことがある。中身もないのに可読性だけ上がっても仕方ない部分もあるのだが、その結果、多少なりともHTMLやCSSの知識がついた。
その過程で気がついたのだが、日本語には見た目にも言語化されない意味があるのではないかということであった。
HTMLは基本、英語――欧文といってもいいが――のためのものだ。だから欧文を表現するのに都合よく出来ている。そのため、日本語の、殊に文学表現の面ではそぐわない部分がでてくる。個人的には段落の扱いとルビの扱いが難しかった。
英語では段落の切れ目は意味の切れ目だが、日本語ではそうではない。台詞ひとつをひとつの段落とすることがままある。
それだけではない。日本語の場合、意味が途切れようが構わず、読みやすくするためや、一文を強調するためだけに段落を変えることだって割と頻繁にある。段落を分けることで可読性が上がる言語なのだ。
英語のことは、あまり知らないので一概には言えないのかも知れないが、少なくとも日本語はパッと全体を眺めただけで、それがどのような文章かがわかる。台詞の多い小説なのか、あるいは評論や解説、論文のたぐいなのか、難解か柔らかい文章か、そういった予測がつく。

それって、普通に文章と改行だけでも多様な表現ができるってことじゃないのか。意外と日本語って文章でも言語外コミュニケーションの部分があるよね。なかなか侮れない。

ところで、この文章はケータイから書いているのでリズムがヘンかもしれない。寒くてうまく手が動かない。大丈夫だろうか。