新年挨拶

あけましておめでとうございます。
年末年始のあいだ、まったく文章を書かないまま過ごしてしまったので実に奇妙な心持がします。何をしていたかといえば、新シルクロードとか古代ドラマだとかアニメや映画のDVDだとかを、読みかけの本(イブラヒーム・アル・コーニーの世界とかいうやつ)片手にぼんやりと見ていただけなのですが。本の整理やお掃除も一応しましたけれどもね。パソコンに触ったのは、ラクガキと年賀状作りくらいのもので、両方とも30分くらいしかかけていません。本当に何もしなかったなぁ。
思えば、ほぼ無意識のこととはいえ、1週間のうちに何日かは何らかの文章を書くように努めていたわけで、その事がいかに自分の生活を規定していたかに気づかされる結果となりました。今さらながら、常に文章でどう表すかを考えている自分に気づいたわけです。
しかし、気づいたからどうだというわけではなく、恐らくわたしは従来どおり何事かを書こうとはし続けるんでしょう。努力のわりには一向に進歩のない技術ではありますが、この視点を離れて自分は冷静さを保てないだろうと感じるからです。
先日、たまたま買ったまま忘れていた雑誌(ダ・カーポ)に文章講座の記事がありました。「シナリオを書くと頭が良くなる」「エッセイを書くと観察眼が鋭くなる」というものです。内容としては、まったくの初心者にむけた易しい内容ですが、個人的にはじつに興味深いものでした。そのタイトルからして普段、文章とは縁がない人に向けたものですが、ひとことで言えばその内容とは「状況を映像化し的確な言葉にする訓練が頭のはたらきをよくする」「自分なりのよいエッセイを書こうとする意識が視界を広げ、観察眼をやしなう」といったもので、特段新しさはありません。シナリオに限らず、自分のあらわしたい物語を、他人にも理解できる形にするためには、イメージを具体化する作業や、客観的に物事を見る作業は当然必要となってきます。エッセイだなんて格好つけなくても、およそ他人に向かって文章を書く人はすべからく、自分が普段何を見ているか、どう見ているか、それを言葉にするにはどう書くのが適当か、といったことには注意を払わずにはいられないでしょう。そればかりではなく、それが自分の意見であるのか、他人の受け売りであるのか、他人に触発されて考えた結果であるのかを検証する態度すら身につける必要をすら感じるでしょう。でもそれは、書いている、普段から書こうとしている人間には(意識するかどうかという点で認識の違いはあるでしょうが)、普通のことなんじゃないかと思うのです。
ですが、それは例えば普段文章を書くことに多少なりとも意識を向けている私にとってであって、一般には非常に目新しい内容なのかもしれないと思ったときに、とても考えさせられたのです。書くこと、書こうとすることは、確かに私に恩寵を与えています。そしてそれは、物語を書いてみようなどと思ったことのない人にもある程度は有効かもしれません。書くこと、読み手を意識して書いてみること、書くべきことを収斂させてゆくことは、ひとを変えるでしょう。それは、たとえば格好よく言えば、視点によって世界が転回することであり、自らのもつ病巣を知ることであり、世界、そして自分自身をふたたび発見することです。実際はそんなに簡単なものではないんですが、そういう側面があるのは確かです。私は、おそらくそのようにして不完全ながらも客観性を獲得することで多少なりとも冷静に自分を見ることが出来るようになったのだと信じています。自分自身を再び発見する、などという境地からは到底程遠いですがね。それは、あんまり努力していないので仕方ないのです。


年の初めからイキナリ難しい話になってしまいました。これが年始の挨拶というのも私が恥ずかしいので、もうちょっと何か書くことにしましょう。
今年のうちのサイトの予定ですが、まったくの未定です。何かを書くにしろ、書かないにしろ、サイトに反映できるものかどうか自分でも分かりません。王子王女のほうは、もし出来上がって、かつ、障害がクリアできれば正式に外に出すかもしれませんが、まあ何とも。何しろ障害云々よりも自分のほうに拭いがたい違和感があって、書き上げるためのモチベーションがまったく維持できない状況です。他のものも、書ければいいなあというレベルなので、小説書くひととしてはまったく活動できないかもしれません。それ以外の部分でも、活発な活動は望めないかも。忙しいとか忙しくないとか、そういう次元ではなく、気力が足りてません。ただ、とにかくインプットが間に合ってない感じがしますので、読書はちゃんとしようとは思っています。もうちょっと実のあるものを読まないといけませんね。このところ文章を書いても、ネット上で投稿するところまで気力が維持できないので、すっかり無口な人です。いるのかいないのか分からない人になるかもしれませんね。急に悪癖である「面白がりの虫」が騒がなければ、ですが。こればっかりは自分でも分からないんですよ。